2013年04月09日

鈍器のようなもの

昨日だったか、ニュースで久しぶりに「鈍器のようなもので頭を
殴られ……」というフレーズを聞いて、かねがね抱いている
疑問を思い出した。

「バールのようなものでドアをこじ開け……」
これはわかる。バールとはL字形のクギ抜きのことだそうで、
たしかにドアをこじ開けるには便利だろう。でもバールで
なくても、似た形のもの、一端をすき間にねじ込める固い棒状の
ものであれば、なんとかドアは開けられそうだ。つまり、
バールのようでバールでないものが使われた可能性があるわけだ。

「拳銃のようなもので店員をおどし……」
これもわかる。実際は拳銃でなく、オモチャ、へたすると
バナナに黒い布をかぶせただけだったなんてことも……。
つまり、拳銃のようで拳銃でないものだったかもしれないのだ。

では、「鈍器のようなもので殴り……」はどうか。
ネットの辞書で調べたところ、「鈍器」とは、
「凶器となりうる、こん棒・レンガなど固くて重みのあるもの」
のことである。

あらためて、そうか、「凶器となりうる」か、と思った。
そういわれてみれば、
「風で飛ばないように重しにするからなにか鈍器を持ってきて」なんてセリフは聞いたことがない。犯罪関連であっても、
「どうやら窓ガラスを鈍器で割って進入したらしい」
とはいわないはずだ。
「鈍器」はあくまで、人(や動物)を殴るための道具なのだ。

さて、目の前にしたいがあり、そのアタマには、固くて重みの
ある何かでなぐられたと思われるキズがあるとする。考えられる
凶器は何か。

固くて重みのあるもので殴られたと考えられるのだから、
思い浮かべる凶器は当然すべて固くて重みのあるもの、すなわち
鈍器のはずである。
ロアルド・ダールの名作短編『おとなしい凶器』で使われるのは
冷凍した子羊の肉だが、これもやっぱり立派な鈍器だ(あ、
ネタばれではないので、是非読んでみてください、面白いです)。
「鈍器」が「固くて重みのあるもの」全般を指す以上、
鈍器のようで鈍器でないものなんてないのではなかろうか。

もちろん、本当は殴られたのではなく、倒れた拍子に石などに
頭をぶつけたなんて設定も、ドラマではおなじみだ。この場合、
「鈍器で殴られたようなきず」という表現は適切といえるけれど、
「鈍器のようなもので殴られた」という表現が正当化される
わけでは一切ない。

どう考えても、「鈍器」に「のようなもの」は余計だ、という
だけの話に、長々とおつきあいありがとうございました。
posted by しんどう at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | チョイ気になる言葉

2011年08月29日

「を重ね」その後

「を重ね」その後――チョイ気になる言葉 5

本ブログで先日、「法案を否決をする」「増税を検討をする」など、
「を」が連続する表現を、仮に「を重ね言葉」と名づけて取り
上げた。政治家の皆さんは、相変わらず多用している。

書く前には一応、だれかがすでにこの問題を指摘していないか、
調べてはみた。しかし、「椿」頼みのネット検索はとにかく時間が
かかるので、結局それらしきものは見つけられないままに、
とりあえず書いてしまったのである。

アップしたあとでふと思いつき、ためしに「英語を勉強をする」
という文を、順番まで完全一致の条件で検索してみたところ、
その結果に愕然とした。

ヒット数、約16万件。ざっと聞き渡したところ、表現の誤りを
指摘するものなど一つもない。英語・英会話に関係するサイトの
文章の中で、「英語を勉強をする」という表現が普通に使われて
いるのである。念のため、後ろのほうのページもチェックして
みたけれど、「完全一致」の条件はきちんと反映されているようで、
どのサイトにも「を重ね」が登場していた。

16万という数字には、一つのサイトが複数回カウントされて
いたりもするのだろうが、万単位であることは町がいない。
ちなみに、「英語を勉強する」で条件をつけずに検索すると、
約1580万件ヒットした。単純に計算すれば、英語の勉強に
ついて書いた人のうち、100人に1人が、「を重ね」を使っている
ことになる。
ヤケクソで、「購入を検討をする」を完全一致で検索してみたら、
1600万件見つかった。

人間の言語感覚の精妙さを基本的に信頼する僕の立場からすると、
文法的にも不自然、響きも不自然、余計な文字を入れるのだから
言語経済的にもマイナス、唯一考えられる根拠は「より丁寧」と
いう「錯覚」……こんな「を重ね」を、わざわざ書き言葉にまで
使う理由がまったくわからない。だからこれらの数字は、うまい
例えも思いつかないほどのショックだった。

もしかしたら、僕の間隔がおかしいのだろうか。さすがに、
自信がなくなりつつあった。

でもそこに、救いの神が現れた。次のテーマの下調べをと、
かけてみた検索にヒットした記事の一つで、偶然「を重ね」(とは
呼ばれていないが)に関する記述を発見したのだ。

そのサイトは、金谷武洋さんの『日本語に主語はいらない』と
いうブログだ。プロフィールによれば、金谷さんは、僕と違って
日本語、言語学の超専門家。心強い味方である。ほかの記事も、
とても面白そうだ。

すでに70回くらい続いているブログのようなので、時間を
見つけて最初から順に読ませていただこうと思っている。
読んだらこのブログを書く気がなくなるかもしれないが……。
ご興味のある方はこちらへ。
http://blog.goo.ne.jp/shugohairanai

さて、僕が何について下調べしたのかは、次回。
posted by しんどう at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | チョイ気になる言葉

2011年08月02日

チガクテ

チガクテ――チョイ気になる言葉 4

「違(ちが)くて」「違(ちが)かった」という言葉遣いは、
たぶん40前後から下の世代だと、つい口をついて出てしまうと
いう人が多いだろう。

違う」という言葉は、文法的には「動詞」のグループに属して
いる。だから、後ろに「て」「た」がつくと、本来は「違って」
「違った」という形にならなければならない。

一方、形容詞というグループに属する言葉、たとえば「長い」に
「て」「た」がつくと、「長くて」「長かった」となる。これを
見れば明らかなように、「違くて」「違かった」は、動詞である
「違う」が形容詞として振る舞ってしまった結果だ。

なぜこんなことが起こるのか。
動詞はモノの動きや状態を、形容詞はモノの性質を表す言葉で、
二つのグループは意味の上でも異なる。ところが、「違う」の
意味は、限りなく形容詞的なのである。

その動かぬ証拠を二つ。
第一に、「違う」の反対語は「同じ」「正しい」だが、これは
いずれも形容詞(系…正確を期すると長くなるのでご容赦))だ。
第二に、「違う」を英語に訳すと、普通「different」「wrong」と
なるが、これもどちらも形容詞である。

したがって、僕たちの精妙な言語感覚をもった脳ミソが、「同じ
じゃないこと」「正しくないこと」を、あるいは「different」「wrong」
の意味を、ぜひ形容詞で表現したいと考えるのは当然といえる。
ところが、日本語のボキャブラリーを見渡してみても、そんな
形容詞は一つも存在しない。そこにはただ、動詞の「違う」が、
ションボリとたたずんでいるだけなのだ。

だから僕たちの脳ミソは、「違う」の両ソデをヒシとつかんで叫ぶ
「あなた、本当は形容詞なんでしょ? お願い、形容詞だと
言って!!」と。

しかし、2時間サスペンスのガケっぷちのシーンなら、悲痛な
叫びもむなしく、相手は悲しい目でこちらを見つめ返すだけの
はずだ。なぜ「違う」は、脳ミソのたっての願いを聞き入れて、
曲りなりにも形容詞として振る舞うことができたのだろうか。

理由は、「違う」の語尾が「う」だったことだ。これは「長い」を
はじめとする形容詞に共通の語尾「い」のお隣さんである。
そして、「違う」の変化形には「違います」のときのように、
「い」も登場する。精妙な一方で柔軟な、ある意味いい加減な
言語感覚をもつ僕たちの脳ミソは、わりと抵抗鳴く「う」と
「い」の垣根を飛び越えたのだろう。

こうして、「違くて」「違かった」、さらに「違ければ」なんて
表現も使われるようになった。でも、まだ「違う」は形容詞に
なり切ったわけではないようだ。僕の知るかぎりでは、形容詞と
しての基本形(文法用語でいう終止形、および同形の連体形)に
あたる「チガイ」の形では使われていないからだ。

たとえば、「この二つはかなり違いね」「君の考えは違いと思う」
「違いのも見せてください」などという言葉を、僕は耳にした
ことはない。「違うね」「違うと」「違うのも」と言っているはずだ。
さすがに「う」と「い」の直接対決だと、「う」に軍配が上がると
いうことではないだろうか。

ただし、ここからが肝心なのだが、若者が連発する「チゲエ」に
注目したい。「それチゲエよ」という言葉は、「トイレ、ナゲエよ」
「オメエ、スゲエな」などと、明らかに同じ感覚で発せられて
いる。また、「ゲエ」は「ガイ」(またはゴイ、ガエ)の音韻変化、
発音が変わったものであって、「ガウ」が「ゲエ」になることは
ありえない。

とすれば、彼らの頭の仲には、形容詞「チガイ」が、しっかり
存在していることになる。まだ素顔では出てこられないが、
ちょっと厚化粧したチゲエ」の顔は見せ初めているわけだ。

さて、通常は「ナガイ」「スゴイ」から「ナゲエ」「スゲエ」と
なるわけだけれど、その逆をたどって、「チゲエ」から「違い」が
生まれるかどうか。僕はちょっと楽しみにしながら見守っている。
もし形容詞「違い」が辞書に載ったあかつきには、祝福の思いを
こめて「日本語界のはるな愛」と呼ぶことにしよう。
posted by しんどう at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | チョイ気になる言葉