2013年04月24日

悲しきアップデート

悲しきアップデート――「見えない」ということ

腹立たしく、悔しく、そしてちょっとだけうれしい午後だった。

事の起こりは1通の事務的なメールだ。
僕が使っているスクリーンリーダー、つまり読み上げソフトである
FocusTalkのサポート窓口から、アップデートモジュールを
公開したという報せが来たのである。

現在のバージョンには、常々悩まされている不具合があった。
インターネット上んのリンク項目は、本来は通常より低い声で
読んでくれるので、最初の一声でそれとわかるのだが、その機能が
不安定で、8割がたはふつうの声で「○○○のリンク」と最後に
リンク項目であることを宣言するのだ。とくにFacebookを操る
ときなど、ただでさえ読み上げソフトを介すると時間がかかるのに、
この不具合のおかげでさらにさらに余計な時間が増える。
だから僕は、このアップデートのニュースに飛びついた。

とはいえ、イヤな予感はしていた。一つ前のアップデートのときも
その前も、ネットからのモジュールのダウンロードがうまくいかず、
結局CDでデータを送ってもらったのだ。今回も、一筋縄では
いかないかもしれないと、3匹くらいの虫が知らせていた。

案の定、ダウンロードができない。窓口に電話すると、リンクが
間違っているので修正したら連絡するという答。ほどなく電話を
もらい、再度トライしたけれど、やはりうまくいかない。

また窓口に電話すると、少し難しいのでと、そのままナビして
くれることになった。すると、その手順はおそろしく複雑で、
途中で思いもよらないキーを何度も押さなければならなかった。
画面が見えて、マウスを使えれば別に問題はないのだろうけれど、
なんといってもこれは視覚障碍者用の、スクリーンリーダーに
かかわるダウンロードである。おかしいではないか。3匹の虫は
腹に移動してうごめき始めた。

それでも、かわいい声のお姉さんが、当然とはいえそれは根気よく
つき合ってくれたので、文句は言わなかった。取り掛かってから
1時間以上が経過して、ようやくモジュールの実行にこぎつけた。

しかし、アップデート後に再起動して、スタートメニューを開いた
そのときだ。僕のパソコン、Windows7に、ただならぬ事態が
生じているらしいことが判明した……。(続く)
posted by しんどう at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 「見えない」ということ

2013年04月16日

悲しき牛丼

悲しき牛丼――「見えない」ということ

店に入るとき、いやな予感はしたのだった。
人につれていってもらったそこ、吉野家の入り口の短い階段は、
道路と微妙な角度をなしていて、僕の軟弱な方向感覚は手もなく
狂わされてしまうんじゃないか……と。

そんな僕の不安をよそに、久々の吉野家の牛丼は、変わらず
美味かった。これを280円に値下げするとは、なんと太っ腹な、
と地味に感動しながら食べた。ただ、その値下げが
いつからなのか、はっきりとは知らなかった。

ところが、途中で店員さんの、「牛丼大も降り、380円です」と
いう声が聞こえた。ということは、並は280円、ラッキー!と
思った。だから、玉子、味噌汁、お新香あわせて540円と
言われたとき、ピリリと違和感を感じた。それでもとりあえず
千円札を渡してツリをもらい、外に出た。

僕の頭は、代金の計算と道路の角度の計算をうまく並行させる
ことができなかった。牛丼が280円だったとすれば、あの代金は
どう考えてもおかしいと結論して、戻った場所に吉野家は
なかった。やむなく道行く人に尋ねると、店は思わぬ方向に
移動していた……?!
案内してもらって、先ほどとは別の入り口から、再び店に入った。

僕のクレームは、値下げは3日後からですというアナウンスに
より、あっさり却下された。混乱と恥ずかしさから、あの「大盛
380円」のナゾについてたずねることも思いつかなかった。

失意の中、店を出ようとした僕を気遣ってくれたのは、中国人と
おぼしき男性店員だった。だが彼には、優しさに見合う街の
知識がなかった。結局別の人に確かめて、そこから目と鼻の先の
次の目的地に向かった。しかし、方向は修正されたものの、
今度は距離感を間違え、心配して連絡をくれた人に、迎えに来て
もらうハメになってしまった。

目が見えないことを軽く呪いたくなる一夜だった。
と、昔の『プロジェクトX』のトモロヲさんのナレーションの
ように、語尾を「た」でそろえて悲壮感を演出してみた。
posted by しんどう at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 「見えない」ということ

2013年04月07日

春嵐の夜に

春嵐の夜に――「見えない」ということ

「雨が好き……」という女性にふと心ひかれてしまったりも
するのだけれど、そんな女性と書いてヒトだって、昨日のような
風雨となれば、その中を歩くのが好きだとは、なかなか言えない
だろう。ましていわんや視覚障害者をや、である。

体がぬれるのは目が見えていようといまいと同じだし、夏場の
台風など、開き直って傘を閉じ、ぬれるにまかせてしまえば、
むしろ爽快ですらある。困るのは、頼みの聴覚が8割がた
ブロックされてしまうことだ。

けっこう手がかりになる飲食店の換気扇、飲み物の自販機の
音などはもちろん聞こえなくなる。住宅街では交差点・
曲がり角を教えてくれる、マンホールの下を流れる水の音は、
雨音に同化してしまう上に、道端の排水口に流れ込む水の音が
実にまぎらわしい。

だれかに助けを求めようにも、人の声や足音も聞こえづらく、
そもそも外を歩いている人が少ない。そして、かりに人が
通りかかるのがわかったとしても、風雨の中で呼びとめるのは、
非常にためらわれる。

加えて、見えていたころからの方向音痴である。住みなれた
梅ヶ丘といえども、道に迷わないわけがない。

なんともチグハグで時間のムダの多い1日を過ごし、1杯
の見たい気持ちとともにようやく梅ヶ丘に戻った昨晩、春嵐は
僕のささやかな願望を、容赦なく打ち砕いた。まず、駅前の
行きつけの地下の店に下りる入り口が、どうしてもわからない。
もう少し霊性かつ慎重に白杖で探れば、街がいなく自分の位置を
確認できたはずだが、そのあたりでオロオロしているところを
知り合いに見られるのはあまりに恥ずかしいという見栄が、
僕にはまだ残っている。それで、あっさり目的地を切り替えた。

ところが、第二候補に向かうはずの道が、どうも様子が違う。2、3度行ったり着たりして、間違いをはっきりと認識。しかし
今度は、別ルートで店にたどり着くための曲がり角が
見つからない。やむなく、着た道を丸々戻って再び駅前に出た。

この時点で、あらためてどちらかの店を目指すこともできなくは
なかったが、服も靴も身も心もビショぬれになってしまった僕に、
その気力はなかった。さすがに今度は正しい道を選び、わが家に
向かった。

と、ここまでは、いかな春嵐も、せいぜい僕のプライドを叩き
潰すか、靴の寿命を数ヶ月縮めるだけだった。しかしわが家の
寸前に、生命にかかわるワナが用意されている。バス通りを
横断する信号である。

天気がよければ、目の前で車が止まった、走り出したはもちろん、
遠くから近づく走行音やその減速・加速もわかるから、大事を
とって青信号を一つ見送るだけで、ほぼ安全にわたることが
できる。しかし、あの風雨の中では、すぐそこに近づくまで車の
存在は聞き取れない。それでも交通量の多い道なら、間を
おかずに行きかう車が一斉に止まれば、信号が変わったとわかる。
ところがこの道は、バス通りなのに車は微妙にまばらで、
しばらく通行が途絶えても、次の瞬間全速力の車が突っ込んで
こないという保証はないのである。そして、「いま青ですよ」と
教えてくれる人が、この春嵐の中を通りすがるのは、2時間先か、
3時間先か……。それが梅ヶ丘の現実だ。

エイヤッ、とわたるよりほかなかった。横断に成功したことは、
こうしてブログを書いている以上明らかだろう。ぬれた服を
ぬいでもなお体は重く、まだ8時すぎだというのに、
いつの間にか僕は眠りにオチていた……ってオチじゃ納得して
もらえないか。
posted by しんどう at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 「見えない」ということ